御代田町の小園町長が、AIを使ってドヤポストしている人を以下のように批判しているようです。
生成AIに何か言わせて、自分が何か高尚なことを言えたような顔をするのはやめたほうがいいと思います。それは過去の知見にのみ基づいた、創造性の乏しい言葉です。何にでもGrokにファクトチェックさせてて何が楽しいのでしょうか。もちろん、生成AIは使い方によって大変有益ではあります。>>実際のポスト
また、元のポストが見えないのですが、御代田町のインフラとAIに関する批判を受けたことに対しては、以下のように反論。
あの、私も生成AIは使えますので…。また、私が町長になって6年で町の中も大きく変化してきていますし、これからも変化しますが、過去の経緯を無視して現状だけを見ると、都会と比較して「インフラが整っていない!」という考え方がどうしても先に立ってしまうのではないでしょうか。経緯が分からないと正しい結論にたどり着くのも難しいと思います。少し様子を見ていただけるといいのではないかと思います。役に立ちたいと思っていただいたお志には心から感謝申し上げます。>>実際のポスト
このわずか2つのポストだけでも、自身の「視野の狭さ」を印象づける才能は抜群だと評価せざるを得ません。
そして、小園町長のAIに対する批判をみてると、どうしても思い出してしまうのは──スマホが登場したときに「ガラケーで十分」と言っていた人たちの姿です。
そういったことを踏まえて、実際に小園町長に批判されたAIが、この2つのポストに対して、どのような批判をするのか検証してみました。
果たして、小園町長が指摘するように「過去の知見にのみ基づいた、創造性の乏しい…」内容になるでしょうか?
ちなみに、私は「過去の知見」とは、人間の歴史であり「集合知」であると捉えているので、創造性の乏しさに繋がるのではなく、創造性を生み出す基盤になっているという考え方ですね。
音声解説
AI生成なので固有名詞などの誤読がありますがご了承ください。
生成AIへの理解不足と揶揄
確かにAIの活用には限界やリスクもあります。しかし、この発言の問題は、AIを一方的に「創造性の乏しいもの」と切り捨てている点です。最後に「もちろん有益ではある」と付け加えていますが、それはあくまでおまけ程度。町長として本当に必要なのは、「AIをどう町政に役立てるのか」というビジョンの提示です。
これでは、時代の流れに取り残された「ガラケー族」の発想そのもの。今や教育、医療、防災に至るまでAIが活用されている時代に、「使い方次第で有益」と曖昧に語るだけでは説得力がありません。
インフラ批判には「誤解だ」と返す
さらに町民からの「都会と比べてインフラが整っていない」という声に対しては、次のように応じました。
町民が切実に求めているのは、「インフラをどう改善するのか」「予算はどう確保するのか」という明確な答えです。しかし町長は、「誤解だ」「様子を見ろ」と返すだけ。問題を指摘した町民側の理解不足にすり替え、肝心の改善策を語りません。
これでは説明責任を果たしているとは到底言えません。むしろ、「言い訳体質」が透けて見えるのです。
「私も生成AIは使える」と自己アピール
AIに関するもう一つのポストでは、こう述べています。
「あの、私も生成AIは使えますので…。」
この一文に続いて「町の中も変化してきています」と語っていますが、結局「だから大丈夫」という自己アピールに終始しています。町民が聞きたいのは「町長がどんなビジョンを持ち、どのように町政にAIを応用するのか」であって、「自分も使える」というスキル自慢ではありません。
問題の本質を避け、責任を曖昧にしようとする姿勢は、やはり「ガラケー族的発想」から抜け出せていない証拠です。
浮かび上がる「言い訳パターン」
これらのポストを並べてみると、小園町長の言い訳パターンははっきりしてきます。
- 批判を「誤解だ」と片付ける
- 具体的な改善策を示さず「様子を見ろ」と言う
- 自分のスキルや経験を持ち出して論点をずらす
町民にとって重要なのは、「なぜ今の町政が問題なのか」「どう解決するのか」を具体的に説明してもらうことです。ところが町長の発信からは、それがほとんど見えてきません。
説得力が弱い理由
- 根拠よりも印象論が多い
例:「過去の経緯を知らないと正しい結論に至らない」→過去の具体例を示さないので説得力が弱い。 - ポジティブな未来像を示さない
言い訳で終わり、「これからこう改善する」という明確な行動計画が見えにくい。 - 相手の問題にすり替える
「都会と比較する方が悪い」「AIに頼るのが悪い」と、批判の矛先を相手に転嫁している印象を与える。
町民の目線では、
- 「町長はいつも説明不足」
- 「批判されるとすぐ“誤解だ”と言う」
- 「結局、改善策や結果が出ていない」
これらは「説得性が低い」と感じる大きな理由になります。
未来を語らないリーダーに未来はあるか?
AIをどう活かすか、インフラをどう改善するか。これらは御代田町が直面する重要な課題です。しかし小園町長のポストから見えるのは、未来像ではなく、言い訳と責任転嫁ばかり。
まるで「ガラケーで十分」と言い張っていた人たちのように、新しい流れを軽んじ、変化を恐れているかのようです。このままでは、御代田町そのものが“ガラケー自治体”と呼ばれるほど取り残され、地域の可能性を自ら閉ざしてしまう危険性があります。
「ガラケー族」のように過去に縛られ、時代の流れを恐れる姿勢で、町の未来を切り拓くことができるでしょうか?
考察
いやあ、どうですか?このAIの反論・批判。
「過去の知見のみ」「創造性が乏しい」という小園町長が使用した批判ワードを、そっくりそのまま彼の言動そのものが「それ」であるという火の玉ストレートで投げ返していますよね。
私は、AIの方がはるかにクリエイティブだと思いましたけど……みなさんはいかがでしたか?
補足事項
小園町長って、言い訳ばかりというのは、他のポストでも散見されるので、その一つを紹介。創造性の乏しいのはどちらなんだか…
でも、水道管とかインフラの更新だいぶんサボってるからなぁ。
↓
御代田町という、インフラ更新に一所懸命取り組んでいる自治体もあることを知ってもらいたい。
令和元年から令和4年まで、必要な予算の13%という異次元の手抜き予算の実行者である小園町長は、その行為を「(金は出してないけど)一生懸命取り組んでいる」とまた言い訳して、さらに「データ類は、公表しているから議会がチェックするだろう」と、まるで最終責任は、議会であるような印象操作をしていますね。
でも、最後の方のポスト「首町が「一所懸命」に取り組む自治体。頼もしい。」という完璧な嫌味が全部持っていた感は神オチといえるでしょうwww
私は、こういうポストを平然と行う小園町長の頭の中は、集合知お化けのAIを遙かに凌駕し、「羞恥心」や「整合性」という愚かな人間がこだわっているものを超越した次元で動いているのだと確信しました。
おまけ
小園町長が「過去の知見のみ、創造性の乏しいもの」と言及しているAIですが、今回のたった2つのポストから、本質的な問題点をマインドマップとして数秒で作成することもできるんですよね。
さらに、多くの人に理解促進するためのサポート形式での生成も数秒で完成させてしまうのです。小園町長は、このような機能の存在を知った上で「過去の知見のみ・創造性の乏しいもの」と批判しているのでしょうかね?
コメント